ふつうであること。
今日は散歩しながら、大自然を感じ、自然と共に生きることを考えていました。
そんな時、佐藤初女さんの著書の中にある
『人間が透明であるというのは、
自分から抜け出し、まずはそのままでいて、何も特別なことはせず、とにかくふつうであるということ。』
という言葉について感じてみる。
ふつうであること。
最近、スピード!や急いで!早く!などを求めて生きている方も多くいらっしゃいます。
それもいま、そこを生きている方には必要な過程であるなかもしれません。
私もそういう時もありました^ ^
透明である。というのは自分を主張せず、自然と調和し、ただ、ただ、ふつうであること。と、受け取っていますが、
このふつうこそ、なかなかできていないように思います。
スピードと求めたり、がんばっていく方が、簡単なのかも。
ふつう。
料理をするとき、食材とひとつになる。
お米はなんと言っているか。野菜はどうしてもらいたいか。
食といういのちを大切にしながら、ゆっくりと丁寧に調理をする。
このいのちを大切に扱うというふつうこそ、大切なことかと。
この中には自分を知る大きな学びと気づきがあるように感じています。
これを毎日、毎日、どんな時もすること。私の今の大切な学びです。
まな板にあたる包丁の音で今の心のあり方が聞こえるものです。
その音は部屋に広がり、家族に伝わります。と、よく、お伝えしています。
優しい音は家族に優しい空間を作ります。
特別に難しいことはせず、優しく調理をすること。
誰もができる何よりの健幸法かと。
ふつうであること。
これはこれからも続く学びです。